もっと歯の延命処置に対して積極的な姿勢が必要である。

「歯医者に行くと、歯を抜かれると思って長い間行っていません。」とか、「7年前 に全部抜いて、総入れ歯にしなさいと言われました。」と不安げに来院される患者さんにとっ て、我々歯科医はおそらく地獄の閻魔大王か悪魔の使いのような存在でしかない。曲がりなり にも7年間使える歯をいとも簡単に抜歯の宣告をする裁量権はないと同時に、もっと個々の歯 を延命する姿勢と、残存する健全歯の保存を計る姿勢が必要である。
私の臨床エポチカ

歯牙保存の限界と可能性

河田 克之
Katsuyuki KAWADA
●姫路市・開業

デンタルダイヤモンド 21(16): 129-135 1996年12月
                            


はじめに

 咀嚼機能を回復し、口腔内の環境を末永く保全することが、我々歯科医の責務である。 “最終補綴物”と言う言葉にも象徴されるように、ひとたび一度装着した補綴物が10年・20年、 あるいは半永久的に機能することは、患者さんにとって強い願望であると同時に歯科医にとっても ステータスであり誇りでもある。ところが時として、個々の歯の延命処置とは相反する決断を 迫られるケースに遭遇する。多数の歯を連結する場合にはなおさらである。

 そのような場合、5年程しかも保たないと予測される歯は抜歯の対象となる。 チェアーサイドの説明で、一旦は納得した患者さんも医院を出る時には抜歯に同意した自分に 後悔しながら家路に向かっているようです。 その証拠に、不運にもその部位の補綴物にトラブルが発生すると他の歯科医院に行って 「何ともない歯を抜かれた」と訴えられます。

私自身も大学時代に学んだ抜歯の基準には少なからず疑問を感じている。確かに放置すれば 5年もも保たない歯も治療次第で5年、あるいは10年以上機能させることが可能だと 思っているからである。

 抜歯の勧めに応じない患者さんの希望に従って入れたBridgeが予想に反して永く機能して、 何年かのち後に思いがけず患者さんから感謝されたケースを開業医なら少なからず 経験していると思う。この経験を謙虚に受けとめて、明日の治療にもっと生かす努力をする 必要があるのではないだろうか。

その努力とは、まず第一に現状の説明と将来の予測をできるだけ丁寧に説明する姿勢である。  Bridgeなど多数歯を連結する場合、その中の1本にトラブルが発生すると全体を再製する 必要があること。将来トラブルの発生する可能性のある歯を残すメリットとディメリット。 トラブル発生時の対処法や費用、治療期間など防御的な説明のほか、経験をふまえた希望的な 話しをして患者さんの同意を得ることが大切である。

 患者さんのニーズが多様化している現在、画一的な価値判断に基ずく治療方針は、 双方の信頼関係構築にマイナス要因として働くことを認識しなくてはいけない。


【症例】

患者:51歳 男性(図1,2)
初診:1985年7月18日 
主訴:残存歯全体の動揺と歯肉出血
全身既往歴:特記事項なし
口腔内所見:

治療方針:7│
       6│           は抜去し、初期治療終了後ポステリアサポートの確保のために臼歯部に
     E5CB`│ B45EF
    G76DC │          Bridge装着後 、
      2-│-2
      2-│-2       にFop(ハイドロキシアパタイト使用) を施行し補綴物による連結固定をすることとした。

図1.初診時スタディーモデル。86年7月
上顎前歯の動揺と挺出が著明
図2.初診時 '85年7月人工骨移植による骨再生
の期待から前歯部の保存を試みた。


治療経過:
図3.術後2年 '88年4月。4」根管治療不備
による腫脹を主訴に再来。
図4.術後2年。'88年3月。4」の消炎処置 (歯根部掻爬、
HAP使用)後、E5CB│ブリッジ再製。
図5.術後4年 '90年7月。4」抜歯、6│6ヘミセ
クションのうえ、上顎フルブリッジ装着。
図6.術後6年。'92年10月。月に1度のメインテナンス
継続中。経過良好。
図7.術後9年 '95年6月。全体に経過は良好で
あったが、│3の二次カリエスは修復不能。
図8.術後10年。'96年3月。│3の二次カリエス確認後1年。重要な固定源を
Bridgeは脱離、上顎歯槽骨の破壊が急激に進行。


抜歯の原因:

根管治療の重要性は改めて述べるまでもない。特に、多数歯を連結する歯周疾患の末期治療では なおさらである。本症例においても、4」は初診時より根管治療の不備があり、 改めて治療したにもかかわらず4年後に歯周疾患の進行を伴い保存不可能となった(図9〜12)。

図9.64│初診時。'85年11月。 図10.64│3年経過。'88年4月。
4│根尖病巣悪化。
図11.4│根尖部掻爬 '88年4月。 図12.6│10年経過。 '95年1月。

同様に二次カリエスの対処も重要である。メインテナンス時の診査項目として、 歯周組織の把握は勿論、クラウンの脱離や二次カリエスの診査を常に行っていたにも 関わらず気が付いた時にはすでに手遅れ状態であった(図13〜15)。

図13.2-│-2初診時。1985年3月。
Fop+HAP施行      
図14.2-│-2術後9年。1995年6月。
臨床症状なく経過良好。       
図15.1995年4月。│3の二次カリエス
が著明。この時点で上顎の再治療を断念。
 


反省点と教訓

初診時(1985年7月)が日本国内で人工骨補填剤(HAP)の発売時期であり、 人工骨補填剤に対する期待と不安が本症例の治療計画作成と予後を大きく左右した。

つまり、期待ゆえ故に上顎前歯の保存を試みた反面、比較的骨破壊の少ない臼歯部に対して 当初手術を見送ったことである。これは、他の症例の術後経過と結果が判明するまでの間にも 急いで処置を進めざるを得ない状況であったためである。 その結果、5年後に上顎臼歯部の歯槽骨破壊が進行した(図16〜19)。

図16.│67初診時。'85年9月。 図17.│675年経過。'90年4月。
│6の歯周疾患進行。
図18.│67 Fop + ヘミセクション
施行 '90年4月。
図19.│6710年経過。 '95年4月。

改めて臼歯部の手術とフルブリッジによる連結固定を行い更に6年の延命効果を得たが、 当初より積極的な処置(手術と補綴)を行っていればもっと良好な予後が得られたものと思われる。

Bridgeの設計に関しては、補綴計算では成立しないケースでも永く機能する可能性が あることが分かった。 とりわけ、上顎の前歯部のみが残存するケースでは極端に予後の悪いことが多いが、 十分な骨植のない臼歯部との連結により大幅に改善されたことは今後の治療方針決定に参考となる。

 上顎のBridgeを撤去するにあたり、「10年もも保たせていただいてありがとうございました。」 と患者さんから感謝の言葉をいただきましたが、私自身上記の反省を含め決して満足のいく 結果ではなかった。しかも、この成果は患者さんのメインテナンスに対する理解がもたらした ものである。ダメだとおもわれる歯を5年,10年あるいはそれ以上も保たせることも大切ではあるが、 その努力を通じて得た最大の成果は、比較的歯周疾患の進行程度の低かった 下顎歯の保存であった(図20〜27)。

          
図20.2-│-2 初診時。   
'86年3月。Fop+HAP 施行。
          
図21.2-│-2 術後10年。  
'96年8月。臨床症状なく経過良好。
          
図22.54│ 初診時。    
'85年12月。
          
図23.54│ 11年経過。   
'96年8月。
図24.「56 初診時。   
'85年12月。
図25.「56 5年経過。  
'90年12月。「6分岐部より排膿。
図26.「56 Fop+HAP施行  
'90年12月。
図27.「56 11年経過。  
'96年8月。

上顎の歯を通法に従い抜歯し義歯による回復を計っていたならば、おそらく数年後には 下顎も同様の結果を招いたものと思われる。 

 他院で引導を渡された歯の保存を求めて現在も多くの患者さんが来院されているが、 本症例を通じて得た“歯牙保存の限界と可能性”と成果を話した上で更なる可能性を求め て診療を進めている現在である。


考察

 歯周疾患により破壊された骨組織の確実な再生法が確立されていない現状 参考文献1,2)において、 骨破壊の抑制と機能の保全と延命が最善の策である。

本症例では、骨再生を目的としてハイドロキシアパタイト(HAP)を使用しているが、 そのことによる効果は不明である参考文献3)。しかし、歯周外科処置に伴う根面処理 参考文献4) と補綴による連結固定の効果は明白であるように思われる。抜髄による歯周疾患抑制効果 参考文献5) は多くの臨床家が経験していることと思われるが、そのメカニズムが解明されていないために 見過ごされがちである。

 残存する歯数が少なくなった場合、1歯あたりに加わる負担は想像以上である。 少しでも多くの歯に負担を分散することと、前方圧軽減のため臼歯部のサポート確保が 重要なポイントであると同時に、フルマウスブリッジによる咬合負担には特別な効果が存在する 参考文献6) ように思われる。


おわりに

 一般医科における末期治療にかける労力と執念には感銘と伴にやや行き過ぎとの感も 感じられるが、歯科領域においては個々の歯に対するあきらめの良さが感じられる。

患者さん自身にも、どうせダメになるのなら今のうちに抜くことを希望する気持ちがあるのは 事実である。ただし、患者さんは歯を抜いたのち後の治療が完璧であることが前提である。 多くの臨床経験を踏まえた我々歯科医は、完璧な治療など存在しないことを十分知っている。 そのことを十分説明した上で治療方針を決定すべきである。

人の命と歯の命は、対等に評価するべきではないが、もっと歯の延命処置に対して積極的な 姿勢が必要である。


参考文献

  1. ) Magnusson, I., Stenberg, W.V., Bat-ich, C. and Egelberg, J.: Connective tissue repair in circumferential perio-dontal defects in dogs following use of a biodegradable membrane. J. Clin. Pe-rio-dontol., 17:243-248, 1990.

  2. )Minabe, M. : A critical review of the biologic ratinoale for guided tissue regeneration. J. Periodontol., 62 : 171-179, 1991.

  3. )吉成伸夫,稲垣幸司,野口俊英 : 再生法の展望,Dental Diamond, Vol.19 No259: 60-63, 1994.

  4. )藤井健男,小鷲悠典,矢嶋俊彦:歯周疾患罹患根面の根面処理に関する研究,−ヒト歯根膜由来繊維芽細胞培養系による評価−,日歯周誌,36(3):612-624, 1994.

  5. )河田克之:歯周疾患進行・治癒に及ぼす歯質の影響,明海大学歯学部同窓会兵庫県支部創立10周年記念誌:13-17,1993.

  6. )伊藤吉美:口腔内科学,永末書店,京都,1985,125-126.