ささくら・あきら
笹倉 明
作家。1948年(昭和23年)兵庫県西脇市生まれ。
早稲田大学文学部卒業後、広告代理店勤務、フリーの雑誌記者を経て、『海を越えた者たち』で 第4回すばる文学賞佳作、『漂流裁判』で第6回サントリーミステリー大賞、『遠い国からの殺人 者」で第101回直木賞を受賞。「ルアン 歳月」「新・雪国」「旅人岬」「ほのおの保育 物語一広岡キミヱの足跡と生涯」など著書多数。

ある歯科医の為になる話

BanCul  No47,91-93,2003.
笹倉 明
 後輩に歯科医師がいる。河田君といって、姫路市の南畝町というところで開業している。 その道、二十五年余りになる、熟練の五十歳である。
 先輩の歯はまかせてほしいという有り難い言葉に甘えて、このほど、時にズキンと痛む奥歯 をみてもらいに出かけていった。
 もとより、医者と弁護士と刑事にはお世話になりたくないタチで(これは皆さん同じだろう) 、わが身の健康管理についても、よほど危うくならないと病院の門をくぐることはなかった。と ころが、今回にかぎって、もう我慢できないという限界がくる前に、河田歯科の階段に足をかけ たのである。
 「初期の歯槽膿漏ですね」
 私の奥歯をチェックして、彼はいった。
 「えツ、虫歯じゃないの?」
 「違います。虫は食ってませんね。他のところにはありますけど」
 「他のところにある!」
 と、私はびっくりして問い返した。虫歯など、この奥歯の外はどこにもない、と思っていたか らだが、あちこちにあります、と聞いて、さらに驚いた。
 それはさて置き、まずは右上の奥歯をどうするか。何とかなるだろうかと尋ねると、もちろん 今なら助かる、と彼は答えて、
 「歯石を取ります。ちょっと痛いので麻酔をかけて」
 マスイと聞いて、私は恐れをなした。そんなものをかけて取らねばならないほどのものなのか と、愚かな問いを発したものだ。
 十年ほど前、やはり河田君のもとを訪れて、歯をチェックしてもらった際、その歯石なるもの を取ってもらっている。まずエアフローでシューシューと歯の汚れをとった後、超音波を発する スケーラーという器械で歯と歯茎の間を掃除していくのだが、そのときは麻酔などした憶えがな い。歯石なる語を耳にしたのもそのときがはじめてだった。
 当時は四十代に差しかかったばかりで、一部の入歯を除けば、まだ健全だったから、
 「ほんとは一カ月に一度、歯石を取ってほしいんですけどね」
 そういった彼の言葉も、深刻には受けとめなかった。右から左へ聞き流し、以来、不精をして 十余年。その間、左の奥歯をムシ食いで失い、抜いて放置したまま、今度は右の奥歯がズキンと きて、こりやいかん、と腰を上げたのだった。
 痛みの原因は、何かの拍子に、例えば固いものを噛んだとき、弱った歯の根元がグラツとくる ためだ。放っておくと、グラグラがこうじて、しまいには抜け落ちてしまう。そういうことにな る元凶が、歯石だという。十余年間、ずぼらをした結果、歯石がたまって歯茎に炎症を起こし、 いわゆる歯槽膿漏の初期症状をきたしていたのだった。

河田歯科医院  そもそも、歯石とは何ぞや。広辞苑をひもとくと、『歯牙の表面、とくに歯頸部に、唾液中の 石灰分が付着したもの。歯塩』とある。河田君の説明によれば、例えば鐘乳石のような石灰質の 沈殿物と考えればよいとのこと。専門家の間では、沈着という言葉をつかい、歯の頚の部分、つ まり歯茎と歯の間に付着するので、歯磨きだけでは取れないものらしい。
 それがたまってくると、歯茎に炎症を起こし、出血し、膿が出、悪臭を放つばかりか、歯を支 える骨が破壊されていく。歯がグラグラになるのはそのためで、私の奥歯のズキンはまだ軽度だ から救いようがあった。即座にマスイをかけ、歯科衛生士の女性によって歯石の除去作業が行な われたのだったが、実は、これをやってくれる歯科医師というのは極めて少ないらしいのだ。
 つまり、ほとんどの歯科医は、転ばぬ先の杖をついてくれない。転んだ人を助ける仕事が主で あり、実際、そういう手遅れの患者しかこないせいでもあるのだが、歯の健康管理のための処置 を積極的にすすめる歯科医はきわめて少ないらしいのだ。河田君によれば、全国をみわたしても 数えるほどしかない。ゆえに、彼のところへは遠路、東京や九州からも通ってくる客がいるほど で、インターネット上での訴えかけが効を奏しはじめた結果だという。
 「みなさん、歯医者の使い方を間違っているんですよ。悪くなってからでは、もう手遅れなん です。その他の病気とまったく同じで、もちろん治療はするけれども、どれだけよくなるかは別 問題です」
 胃の痛みに耐えかねて病院へ行ったときはすでに末期でどうにもならないケースと、重度の歯 槽膿漏は同じであると考えてよい。内臓のガン検診には熱心だけれど、歯のチェックは軽くみて、 怠る人がほとんどである。従来の医師の在り方にも原因がある、そのよろしくない傾向に、彼は 率先して異議を申し立てているわけだ。
 幸いにして、私の場合、マスイの痛みだけを我慢して歯石をとってもらった結果、ときにズキ ンと痛んでいた奥歯がウソのように鎮まった。これは不思議というか、嬉しいかぎりなのである。
 「それを守っていただけると、先輩の歯は、同世代の人のより十年も若いですから、八十歳ま でいまの歯を維持できますよ」
 何とも意外な言葉を聞いた。レントゲンを撮ってみた結果、骨の消耗が五十代前半にしては少 ないのだという。よく使う奥歯の一つだけ、グラツときて痛みを発生させていたけれど、その他 の部分は大丈夫、かなり強固であるらしい。
 それでも虫歯があちこちにあるというのだから、これはもう転ばぬ先の杖をドンとついてもら うしかない。二度日の訪問時から、それははじまった。

河田歯科医院 一体どこに虫歯などあるのかという私に、河田君は、
 「ちょっと鏡でみせてあげて」
 と、衛生士に命じた。
 二つの鏡に適当な角度をつけてみせられたのは、右上の前歯の裏側だった。ちょうど前から奥 へのコーナーに当たっていて、これにはまた驚いた。
 これが「死角」というものか。本人にみえないのはむろん、歯磨きでも角度的にいちばん手薄 になるところなのだ。いやはや、参ったというほかはない。
 放っておくとどうなるかは、私にもわかっていた。左の奥歯でそれを経験しているからで、忘 れもしない、フランスでの取材中、我慢をしてきた痛みがついにフランスパンもかじれなくなり、 帰路に立ち寄ったフィリピンでついに限界に達し、駆け込んだ歯医者で二者択一を迫られた。 まるごと抜いてしまうか、神経を抜く治療をほどこすか。
 迷わず前者を選んだ。滞在日数が限られていて治療に時間をかけられない事情もあったが、一 刻も早くこの痛みから解放されたいという願いからだった。そして、マスイ、抜歯、となる。 ゴキッと鈍い音を立てて極太の奥歯が抜ける感覚はいまも忘れないが、それよりも、抜けた歯を みせてもらって、ヘーッと驚嘆した。その惨状を何と形容すればよいのか、ジャガイモが鼠にか じられたような、とでもいうべきか。ごっそりと上から下まで歯の半分近くがえぐりとられてい るのをみて、さすがにゾッとした。
 左利きの私は、モノを噛むのにも左の奥歯ばかりを使っていたことから、集中的に痛みつけて きた結果だったが、それにしても虫食いの恐ろしさは骨身にしみた。以降、右の奥歯ばかりを酷 使してきたから、ズキンときたときは、てっきりまた虫歯かと勘違いしたのだ。実は歯槽膿漏の 初期で、どうにか助かったという次第なのである。

河田歯科医院
本文は、“BanCul 2003年 春号に
掲載されたものです。”
BanCul  No47,91-93,2003.
 河田君によれば、そういう虫歯でも残す方向で抜髄(神経を抜く)治療をするのが正しいとい う。が、一口に神経を抜くといっても、医者によって上手い下手がある。抜き切れずに残してい て、かぶせた後でまた痛み出すといったことがよくあるという。そして、多くの人は、神経を抜 いて治療したからもう大丈夫と思っているけれど、それも大間違いで、神経を抜かれた歯はもろ く、いずれ寿命というものがくる。
 従って、虫歯もまた、そうならないうちにチェックして、早期に治療してしまうことなのだが、 なかなか実行されないのだと、河田君は嘆く。歯医者の正しい使い方を知ってほしいと訴える彼 はしかし、従来の歯科医師界では異端児であるそうだ。実際、歯石取りだけでは料金をいただけ なかった。四月から保険法が改正されるので、少しはよくなるそうだが、利潤の面からすれば効 率のよくないそれを、あえて患者の側に立ってすすめるわけは、いうまでもなく医師としての良 心にほかならない。
 このほど著した「あなたは一生自分の歯で食べられますか?」(悠飛社)は、二十五年の臨床 体験を経て、ようやく歯科医師としての方針と確信にたどりついた彼の集大成ともいえるものだ。 そこには、世の認識不足を改め、誤解や疑心を解くための経験に基づいた解説と様々な教訓が、 整然とした歯並びのように提示されている。
 それにしても、歯医者ぎらいの何と多いことか。それは間違いなく、手遅れの治療がどうにも 痛いばかりの代物であるからだろう。虫歯の早期発見、歯槽膿漏の初期に対する治療は、ほんの 数十分、マスイ数本の痛みだけですむ。嫌いにならずに、来月も行く。