創設3年目・東北ツーリングより |
1993年11月 高麗祭ラリー出場 |
1971年に創設された自動車部は、城西歯科大学開学の翌年のことでした。吉見先輩をはじめとした
2期生の手で活動を始めたクラブには実績も経験もなく文字通り手探りでの運営だったと言って
過言ではないでしょう。ところが私が入学した年(1972年)の6月にはわずか1回か2回の練習
を行ったのちにすでに実践のラリー競技に参加していました。勿論、往時のハイレベルなラリー
と違ってかなりレベルの低い“埼学連ラリー”だったように思います。
その年の秋には自分たちの手でラリー競技を開催しようということになって寄付集めに翻弄したもの
でした。これがのちに一世を風靡した“城歯祭ラリー”の幕開けでした。商品総額10万円は当時とし
てはまずまずのレベルではあったと思いますが、明らかに無謀な計画であったと言わざるを得ません。
経験は無論、器材もスタッフも揃わない状況での開催では万事うまくいくはずがありません。
計時と成績発表に手間取って大きな顰蹙(ひんしゅく)を買ったものでした。
第4回“城歯祭ラリー”より |
第1回 参加台数 36台 賞品総額10万円
第2回 参加台数 72台 賞品総額20万円
第3回 参加台数105台 賞品総額40万円
第4回 参加台数117台 賞品総額60万円
折からのラリーブームに乗ってかたちの上では順調に延びた城歯祭ラリーでしたが、努力の
割には何かむなしさの残る競技の開催でした。実力を発揮したのは、私以下の後輩たちが
英知を結集してからのことでした。しかし、何事も最初の思い切りなくして物事は成就しない
ことを教えてくれた貴重な人生経験であったと懐かしく心に刻んで今を生きています。
1975年8月 合宿風景より 部車(ギャラン) | えびす高原牧場ダートコース |
“千葉ナイトラリー”より ラリー車(サニー)は4か月後榛名山で谷底転落 全損第1号 |
ナイトラリーに出場するのがステータスであった当時、1年に10回も参戦できたのは熱意も
さることながら参加費用が\5,000程度と今と比較にならないくらい安かったこととレベルが
低かったことが挙げられます。
とは言っても、うかうかしていると車の全損事故にもつながりかねないのは今も昔も同様です。