あなたは一生「自分の歯」で食べられますか?
かしこい歯医者のかかり方

第4章 メインテナンスに対する理解を深めるために

【歯槽膿漏治療と保険】

 メインテナンスの重要性と効果については十分理解していただけたと思います。とはいえ、 それを実際に実践するとなると大きな障害があります。2002年4月以前は、毎月の歯石除去が 保険で認められていなかったために、患者さんの側が希望されても、ほとんどの歯科医院で断 られるか、時には保険外診療として多額の費用を請求されるということもありました。「歯に 傷がつくから3か月ごとにしましょう」と言われることもありました。その当時でも初診時の 歯石除去は保険で認められていたので、3か月、もしくは半年ごとだと初診扱いにすることが できるという事情もあったようです。
 それまで私は信念に基づき、毎月の歯石除去は無料で行ってきました。おかげで、多くの症 例に接して、本書に示したように信じられない効果を目にしてきました。その効果を多くの国 民が知らないのと同様に、多くの歯科医もそれほどの効果を信じていないと思います。 2002年4月の保険改正によってメインテナンスが保険適応になったとはいえ、まだまだすべての 歯科医院で快く引き受けてもらえるわけでもなさそうです。メインテナンスを行おうとする歯 科医院は、あらかじめ届け出をだして許可を得る必要があるからです。私自信の過去を振り返 っても、新しい制度を取り入れて診療した場合、厳しい保険診査を受けなければならならず、 急激な変換は難しいかもしれません。
 また、メインテナンスを行うには、その効果や必然性を患者さんに納得してもらわねばなら ず、そのためには膨大なエネルギーが必要です。限られた診療時間のなかで、十分な時間を割 いてインフォームド・コンセントを行うことに対し、多少のためらいもあります。制度が変わ った今も、事情はそれほど変わっていないように聞いています。本来、歯石の除去はどこの医 院でも可能な処置ですので、患者さんの方から積極的にメインテナンスを希望されれば引き受 けてくれる歯科医院も増えてくるはずです。

★ 質問:大阪府在住 主婦 39歳 女性
 こんにちは。2年前に根管治療をしていただいたH.Kです。その節は大変お世話になりました m(__)m  お陰様で、どこの歯科医院でも治療出来なかった患部を河田先生のお力で治して頂 き感謝致しております。さて、今日は、歯周病の件で質問をさせていただきたいと思います。 お手数をお掛け致しますが、宜しくお願いします!
河田先生のアドバイスの通り、近所の歯科医院で、1〜2ヶ月に一度のスケーリングを実行し ているのですが、あまり丁寧な感じではなく、見た目が綺麗というだけで、深い部分のスケー リングは必要ないような事を言われたので、もう少し熱心にしていただける先生を探しており ました。最近になって以前の歯科医院よりも歯周病に力を入れる先生に診ていただいた所、左 上4番だけがポケット4〜5mmなので、ポケット掻爬術をする必要があるかも・・と言われま した。口腔内が綺麗であるということで、ポケットが深いのは噛み合せに原因もあるというこ とでした。
 私の希望としては、ブロックに分けて、スケーリングとルートプレーニングをして頂き、そ の後月に一度、スケーリングをして頂きたいのですが、この場合、ポケット掻爬術は避けられ ないのでしょうか?
それから噛み合せが原因の場合、治療はどのようになりますか?
それと、プロフェッショナルトゥースクリーニングというのは、スケーリングも含まれている のでしょうか?(今後の毎月のメインテナンスとして、スケーリングだけでは足りないでしょ うか?)
河田先生でしたらどのような治療をされますでしょうか?
お忙しい中恐れ入りますが、何卒宜しくお願いします!
※ 回答:
“ポケット掻爬術”といえば仰々しい感じがしますが、本来、麻酔をして深い位置に残った歯 石をとることが目的です。私の医院で一度行っていますので、今すぐは必要ないように思いま す。噛み合せが原因の場合、歯や被せを削ったり、被せそのものを作り替えます。かみ合わせ の問題はクローズアップされることが多いのですが、ほとんどのケースが該当しないと認識し ています。処置方針が異なりますので、申し上げ難い部分があります。少なくとも言えること は、私なら行わないだろうということです。何よりも大切なことは、毎月の歯石除去と虫歯の 早期発見・対処です。
 プロフェッショナル・トゥースクリーニングはスケーリングを主体としたトータル的な口腔 内清掃と診査です。スケーリングだけで守れるというとちょっと語弊があります。異常を見つ け出す能力と、それを診断して適切な対処をする能力が要求されます。

【保険改正】

歯科治療
 意外に知られていないことですが、つい最近まで、メインテナンス時の定期的な歯石の除去 は、保険の対象から除外されていまた。治療というより予防とみなされていたからです。もう お分かりだと思いますが、歯槽膿漏は歯の萌出と同時に始まり、20歳代では歯槽膿漏の初期、 30代後半で中期へと進行していきます。歯槽膿漏のメインテナンスは、すでに罹患している疾 患の進行を抑制しコントロールすることですから、予防ではなく治療と位置付けるべきものな のです。
 歯の問題に限らず、健康というものは医師だけの努力ではどうにもならない部分を少なから ず持っています。行政が医療に対してどう取り組むかが、決定的な要素として作用することを 無視できません。私はこうした不合理を改めたいと思い、小泉首相に宛てに電子メール(資 料1)を送り、そのなかでメインテナンスとしての歯石除去に保険を適用してくれるよう お願いしました。それが効を奏したのかどうかは分かりませんが、二〇〇二年四月から歯槽膿 漏のメインテナンスに関する保険規則が大幅に改正され、歯石の除去に保険が適用されるよう になりました。とはいえおかしな話ですが、検査を受けなければ歯石除去に保険は適用されま せん。手軽に出来る検査なら問題ないのですが、痛みを伴う上に、費用も高くつきます。それ にもかかわらず、初診時の歯石除去やメインテナンスに移行する前には検査が必要です。
ですからそれを知らない患者さんが歯科医院にやってきて、
「最近、歯茎が出血しますから歯石を取ってください」
と申し出ても検査をしなければ保険適用で歯石は取れません。明らかに歯石がのぞいていると 肉眼で確認できても、まず、検査という手続きを踏まなければならないのです。黙って取った 場合、歯科医院が受ける報酬はゼロ。
 検査結果に基づいて良質の医療を提供する目的と、必要最小限の治療に留めるという医療費 抑制策の結果だと思いますが、医療現場では様々な問題が生じます。例えばメインテナンス継 続中の患者さんが、何かの都合で3か月間来院が途絶えると強制的に初診扱いになりますので、 検査が必要となります。本当に国民の健康を願って歯槽膿漏のメインテナンスを普及させるた めには、改めて頂きたい規制が多々ありますが、何はともあれ、メインテナンス時の歯石除去 が保険導入されたことは画期的なことだと評価しています。

★ 質問:広島県在住 学生 19歳 男性
 歯の表面に目で見てもすぐ確認できるくらいの歯石があり、歯医者に2日かけて行ったので すが治療が終わった後自分の歯を見ても歯石はついたままでした。どうしてでしょうか?
※ 回答:
「歯石を取って下さい」って言いましたか?
“主訴以外の歯は治療しない”という歯科医は結構います。主訴の歯は、患者さん自身が治療し なくてはいけないという自覚を持っています。従って説明も簡単です。 しかし主訴でない歯は、 疾患の存在を告げることから始まり、治療の必要性(放置しておくとどうなるか)や治療に必要 な費用・日数など諸々の説明をして納得を得なければなりません。ましてや、将来ヒドイ痛みの 予想される歯であっても、痛みのない状態で治療始めてあとの経過が悪かったら最悪です。
 元々痛みのある歯だったら、「一生懸命治療したけどダメだから抜こう」で済みますが、元々 痛みのなかった状態の歯を抜くというわけにもいかず打開策のない闇の中をサマヨッテしまいま す。ましてや歯石。一般には患者さんが歯石の存在さえ知らないことが多い状況で、面倒な上に 痛みの伴う歯石除去なんかいきなりしたら、怒って帰ってしまう患者さんもいます。普通は、歯 石の為害作用や除去することのメリットを十分説明して納得してからでないとスケーリングはで きません。今でこそ私の医院は、「歯石を丁寧に取ってくれるから」といって来院される方が多 いように思いますが、20年程前は怒って帰った患者さんもいました。

★ 資料1
 拝啓 内閣総理大臣 小泉純一郎様 2001年5月12日

 社会構造からくる閉塞感から日本の政治に失望している国民が、「痛みを伴ってもヤルべき ことはやる」という総理の姿勢に絶大な支援を表明しています。一歯科医として開業している 私も総理の行動力に期待する一人です。

 “八〇二〇(ハチマル・ニイマル)運動と称して日本歯科医師会と厚生省は、八〇歳になっ ても二〇本以上の歯を残すためのキャンペーンを繰り広げています。国民にとってはありがた い活動だと私も評価しています。しかし、絵に描いた餅”の如く達成はおぼつかないのが現状 だと認識しております。然るに秘策が無いわけでもありません。“歯磨きだけでは守れない” ーー歯磨きの延長として歯科医院で定期的に歯石を取る習慣を身につければ驚異的な成果が期待 できます。

 残念なことに、この意見がクローズアップされることはありません。五年程前当時の日本歯周 病学会理事長:池田克巳教授、そしてつい先日、日本口腔衛生学会理事:安井利一教授に具申し たことがあります。「本気で国民の歯を守るつもりなら、何だかんだというよりも結局、毎月患 者さんを医院に来させてスケーリング(歯石の除去)を行えば確実に目標が達成されます。厚生 省の役員に是非提案してください」と。

「厚生省も本当は分かっているけど、それは厚生省の方針に反します」という全く同じ返答が返 ってきました。確かに国民全体が毎月歯科医院に行って歯石を取る習慣を実行したとすれば、一 回3000円としても膨大な費用がかかります。まして医療保険制度が破綻寸前の状況で、この事実 を公表したとすれば現在の保険制度を維持することを危機にさらすことになるかも知れません。
 国民の健康を増進させることが厚生省の役割でありながら、保険制度の維持を優先して事実を 隠したり直視しないことは、まことにゆゆしきことだと思います。まず、「歯の健康維持にこの ような有効な方法があります」という事実を明らかにした上で、「ご存知のように保険財政が緊 迫している状況ですので、今すぐ保険適用というわけにはいきませんが」理解を求めるべきでは ないでしょうか。現実は、事実を隠すだけに留まらずこの有効な手段を封じ込めています。「通 常必要な医療は全て健康保険でカバーしています」というアピールとは裏腹に、毎月の歯石除去 は保険で認められていません。患者さんが毎月歯石を取ってくれと求めても、(保険で認められて いないので)医院の窓口で断られてしまいます。稀に「保険外で3000円頂きます」という対応さ れる医院もあるようですが、「えっ、保険が効かない」という驚きから医院に対する不信を植え 付けてしまいます。せめて、保険適応でない事実だけでも公表していただければ、それだけでも 助かる患者さんや歯科医が多くいるはずです。
 本来、国民の健康を守るべき保険制度が健康を損なうようなことがあってはならないと思いま す。歯の健康は、全ての国民の願いです。健康な歯は、健康な体の入り口であり国の財産です。 総理の行動力をもって、国民の健康を築いていただきたいと心よりお願い申し上げます。

【歯槽膿漏治療の現状】

 メインテナンスに限らず、歯槽膿漏治療自体が満足に受けられないという実態も存在します。 歯槽膿漏の治療は難しいとか、お金にならないという話を歯科医仲間から聞くことがあります。 金銭的なことは、今回の保険改正で大幅に改善されました。また、メインテナンスの効果が浸 透すれば、簡単な処置で十分な効果が期待できますので治療が難しいという誤解も払拭される でしょう。歯槽膿漏の治療をめぐる環境は徐々に改善されていくだろうと期待できます。
 「難しい症例は大学病院で対処するが、開業医にできる初期治療が野放し状態のために患者 さんが一向に減らない」とおっしゃられ、歯槽膿漏治療の保険改正に尽力されていた恩師:池 田名誉教授の気持ちが痛いようにわかります。末期状態ではほとんどの開業医が対処できませ ん。放っておけば必ず末期に進行していくわけですから、開業医にも対処可能な初期や中期ま での段階からメインテナンスを始めるのが正しい歯医者の利用方法だといえます。

★ 質問:大分県在住 主婦 49歳 女性  はじめまして、私は三十代から歯槽膿漏と戦っています。いろんな歯科医院に行ったけど、 歯周病に熱心な先生はいらっしゃいませんでした。ひたすら本を読んだり、資料を集めたりし ていましたが、相談する人もいなくてとても孤独でした。
※ 回答
 国民皆保険の下、強制的に健康保険に加入させられている状況で、「通常必要な治療は全て 保険でできます」と厚生省は豪語しています。しかし、いまや国民病とも言える歯槽膿漏の重 傷部分のほとんどが保険で治療できないという実態です。
 膠原病や遺伝子治療のように特殊な疾患と違い、歯槽膿漏は国民病的存在で、保険料を支払 っている人のほとんどが治療を必要としています。にも関らず、いざ歯科医院に行くと満足な 治療が受けられなかったり、歯石を取るのに1万とか10万円、あげくに全顎の治療をするのに 300万円かかるとか。一体、この実態はどこから生まれてきたのでしょうか?
 まず第一の原因は、開業している歯科医師にあると思います。重症になると外科的な処置が 必要となりますが、高度な知識が要求されるうえに折角手術をしても結果が伴わないので敬遠 されがちです。軽度なものは、収入が見合わないという理由で敬遠されてきましたが、2002年 の保険改正でメインテナンスが大幅に見直されましたので、今後はメインテナンスを行う歯科 医も徐々に増えてくるものと思われます。
 第二の原因は、保険制度とそれを運用する官僚の体質にあります。制度を運用するためには どうしても“規則”が必要です。法治国家ですので規則を守ることは国民の義務です。その規 則自体、またその運用が、保険制度本来の目的である国民の健康確保を最優先させたものであ れば問題はないのですが、医療費の抑制を最優先させているのが実情です。カルテの記載事項 ・治療手順・使用材料などについて、毎月のように細かい規則との整合性のチェックが入りま す。そしてわずかなミスを盾に診療報酬の減点が行われるのです。まるで、「保険で歯槽膿漏 の治療をするな」といわんばかりの嫌がらせです。「規則に沿わない斬新な治療をしたければ 保険医を辞退しなさい」と脅されたこともしばしばです。国民のためになる治療を指導するは ずの診査が、国民不在の医療費抑制の道具として利用されています。

★ 質問:石川県在住 主婦 30歳 女性
 中度から重度の歯槽膿漏で悩むものです。
以前の歯科ではあまり徹底した歯石除去をしてくれなかったので別の歯科で相談してみたんで す。歯並びが全体的に悪いので奥歯にかなり力がかかっているとかで内側にちょっと傾いてい て、歯茎も下がって隙間もあいています。右下は根っこが見えています。レントゲンを撮った ところ、奥歯よりも前歯が悪いことが判明したんです。動揺もあります。上の1番は歯槽骨の 吸収が半分くらいでしょうか、下の右1番は白い膿も出ていますし、悪いのはわかっていたので すが、骨がほとんど溶けてしまっていました。レントゲン上で測ると残り5 ミリくらいでしょ うか。上下とも、もし痛みがでてきたり化膿したら抜歯だと言われショックを受けて帰ってき たんです。この状態ではいくらポケットの中の歯石をとったり(これはもうやりました)フラ ップオペをしたり(これはまだです)しても改善しないともいわれてしまいました。
 歯列矯正を考えていたのですが、この骨の状態では矯正に絶えられないそうです。これから 先の治療は保険がきかない精密検査をしてみないとなんとも言えないということなのですが、 矯正できない、歯石をとる手術までしても治らないんでは私はただ歯が抜けるのを待つしかな いのでしょうか?
この年齢で入れ歯なんて嫌なのですが、他の歯にも影響することを考えると右下1番のように ほとんど骨が残っていないような歯は思い切って抜歯したほうが良いのでしょうか?
※ 回答:
 何も有効な手立てを講じないまま放置しておいて、悪くなったのが確認できた段階で抜歯か 保険外治療という印象を受けるようなひどい話ですね。こうなる前にすべきことがあったと同 時に、こうなっても次に最優先させるのは今まだ比較的軽度である歯が同じ運命をたどらない ための処置。つまり徹底した歯石の除去とメインテナンスです。“歯石は炎症の直接原因では ない”つまり歯槽膿漏の原因は歯石ではないという考え方が、日本中の歯科医のほぼ共通した 見解です。私からみればとんでもない誤った認識だと思いますが、この認識の結果、歯石除去 は皆さん熱心ではないようです。
 お伺いした状況から考えると、歯石は1度や2度では取りきれないでしょう。とにかく徹底 的に除去してください。それと、今までだって歯磨きはしていたはずですので、歯石をとった からといってもまたすぐに着いてきます。毎月歯石をとって、少しでも炎症を起こさせないよ うしっかりコントロールして、それでも腫れてくる部位については、麻酔をしてでも更に歯石 や汚物を取る必要があります。考え様によっては、まだまだ5ミリも歯槽骨が残っているわけ ですから、徹底した歯石除去を行えば手術は当面不要のはずです。保険外の治療とはおそらく、 造骨性の何か処置を含む手術だと思いますが、造骨性は残念ながらほとんど期待できません。 一旦喪失した骨は二度と再生しませんので、そういう意味では歯槽膿漏は不治の病といえます し為す術がないといえます。しかし、徹底したメインテナンスで生涯現状維持することはでき ます。今の状態が決して満足すべき状態ではないでしょうが、今の状態がそのまま死ぬまで保 てるのであれば不自由はないはずです。
 ちなみに歯並びは良いにこしたことはありませんが、歯槽膿漏の直接原因ではありません。 考えられる要素としては、歯石が沈着し易い体質、そして炎症を起こしやすい全身の抵抗力の 弱さがひとよりも早い歯槽膿漏の進行に関与していると思われます。体質・抵抗力はどうしよ うもありませんが沈着した歯石をこまめにとることはできるはずです。右下1番の詳しい状況が わからないので抜歯の可否は判断できません。ただ言えることは、おそらく私なら、抜髄して 経過をみると思います。

【インプラント】

歯科治療
Qさん 初診時 55歳 男性
上顎の歯もかなり末期状態で、このまま放置しておくと下顎同様数年後には全ての歯を失う であろうことが予想されます
歯科治療
Qさん 11年後 66歳
今となっては古いタイプのインプラントですが、残存する下顎歯を最大限に利用してフルマ ウスの補綴処置を行いました。術後のメインテナンスは熱心で追加処置がないまま良好な予 後を保っています。10年間インプラントが機能していることも値打ちですが、何よりも上顎 の歯が1本も失われることなく機能していることに注目してください
 インプラントは、永久歯が抜けた後、歯槽骨に人工の歯根を埋め込んで土台とし、その上に 人工歯を設置する方法です。原理はとても単純ですが、体の中に異物を埋め込むことになるの で、安全性については賛否両論さまざまな議論があります。とはいえ、設置の際に隣接歯の削 合を伴うブリッジと違い、インプラントは単独で機能するので、口腔機能保全の立場からも推 奨すべき術式といえるでしょう。
インプラントが歯科臨床の場に導入されて20年以上になります。初期のものは技術的にも未熟 でしたが、それでも10年以上機能している症例を多くみかけます。最近の人工歯は非常に親和性 にすぐれ、成功率も一層高くなり、成功率は901%から95%にも及びます。の数字は他の歯科治 療と比べてもかなり高く、インプラントの普及は望ましいことだと思います。しかし、いかに 高い医療技術が導入されても、天然の歯に勝るものはありません。自分の歯を最大限に残す努力 をしたうえで、それでも歯を失ったばあいに選択する療法となることが理想的といえます。また、 いくらインプラントを埋め込んでも歯の健康を守る習慣が身についていなければ、生涯にわた って機能することは期待できません。自然の歯がどんどん失われていくような状態で、インプ ラントだけが長持ちするとは思えません。
患者さんの中には、
「先生、高くついてもいいので、一生使える歯を入れてください」
と、相談を持ちかける方がいらっしゃいますが、一生使えるかどうかは、本人次第といえます。
インプラントについて、機能面に関してはそれなりに信頼を寄せていますが、歯の健康に対 する意識という観点からはあまり評価していません。安易にインプラントを奨励する空気が生 まれると、歯が無くなってもインプラントがあるから心配ないと、歯を最大限に残す努力がお ろそかになってしまうのではないかと懸念しています。

★ Qさん 55歳
 Qさんは、インプラントを希望して来院されました。50歳ころまではもう少し歯が残っていた そうですが、歯槽膿漏が急激に進行して順次抜歯したとのこと。残存歯を最大限生かすことを 考え、インプラントとそれら全てを連結したブリッジを装着しました。
 治療終了後もメインテナンスを続け、1本の歯も失うことなく経過しています。補強と咬合関 係保持の立場からインプラントの有効性は言うまでもありませんが、何より大切なことは、喪失 間近のはずの上顎の歯が初診当時からそのまま変わらず機能していることです。

【インプラントにメインテナンスは必要条件】

 インプラントを植えられた経験のあるひとならお分かりだと思いますが、治療終了時にメイ ンテナンスの必要性を説明されたはずです。「面倒だ。ダメになったらまた植えればいい」と いうような考えはありませんか。大量消費時代の現代だからといって、下手に修理するよりも 新しいものに買い換えた方が快適という考え方では困るのです。残っている自然の歯は勿論の こと、一旦植えたインプラントも体の一部です。自然の歯にもインプラントにも歯槽膿漏の進 行があります。メインテナンスを怠っていては、歯槽膿漏による骨の喪失が進み、二度とイン プラントが植えられないこともあります。
 自然の歯もインプラントした歯も、「1本たりとも失わない」という努力をした結果、不幸 にも失ってしまった場合にはいくらでも救済策が考えられますが、手入れを怠って大量の歯を 失った場合の救済策には限界があります。

★ 質問:島根県在住 会社員 44歳 女性
 現在上顎に3本 下顎に3本しか残存歯はなく取り外し式の義歯を入れています。あきらめ ずに治療すればもう少し残せたのかも知れませんが楽な抜歯を選んでしまい今は後悔していま す。こんな私でもインプラント出来るのでしょうか?
※ 回答
 44歳で残存歯6本は、異常に早いですね。歯に対する執念や治療方法に問題があったにして も、歯槽膿漏の進行傾向が非常に強いと推測されます。“進行傾向が強い”ということは、歯 石が沈着し易いとか生体の抵抗力が弱いということです。これは、「インプラントを植立する 時も、植立したのちも破壊傾向が強いと考えるべきだと思います。だからといってインプラン トが無理というわけではありません。これらのことを念頭におき、レントゲン診査を行って残 存骨量を見たうえで、インプラントの可否を決定するのがよいでしょう。

【保険適用外のインプラント】

ごく一部の大学病院に於いて保険適用になっていますが、一般の歯科医院では保険外の扱い になっています。明らかに高い治療効果が得られる治療方法が保険適用外となることは国民皆 保険の趣旨に反しているものと思われます。
 メインテナンス時の歯石除去に対して保険を適用するように、小泉首相に電子メールで要望 したところ、要望が実現したので、今度はインプラントに対する保険適用を要望しています (資料2)。インプラントが保険の適応対象であったならば、どれだけ多くのひとが救わ れることか想像もつきません。私の医院でも中高年以上の患者さんは、インプラントを必要と されている方が半数以上を占めています。また、過去にインプラントを選択できなかったため にブリッジや入れ歯を余儀なくされ、失わなくてもよい歯を失ったケースを多くみかけます。 手術をともないますので、全ての患者さんの選択肢にはいるわけでもありませんが、インプラ ント敬遠の理由は金額的な負担です。お金がないために治療が受けられず死んでいくひとを皆 で助け合おうというのが国民皆保険の趣旨だと思います。有効な治療方法を保険導入しないこ とは、行政が国民から健康を奪う行為ではないでしょうか。

★ 資料2
 拝啓 内閣総理大臣 小泉純一郎様 2002年4月19日

 昨年、首相官邸のご意見箱にメッセージを送らせていただいた歯科医です。その時の願いが 届いたかどうかは定かではありませんが、2002年4月の保険制度改革により、歯周疾患の メインテナンスが大幅に改正され“毎月の歯石除去”が制度として発足いたしましたことは、 国民の健康に多大な恩恵を与えるシステムとして歓迎すべきことと絶賛すると同時に、長年の 願いがかなったことに安堵しております。
 さて、もう一つの懸案である歯科インプラント(人工歯根の移植)に関する保険の扱いにも 大きな問題があります。差額ベッドのように治療結果に影響を及ぼさない“快適さ”が国民健 康保険の趣旨に馴染まないことは分かります。しかし歯牙保存の立場から、インプラントのよ うに明らかな結果の違いを招く治療方法が大学病院のごく一部にしか認められず多くの国民が 多額の自由診療費を工面し、時には断念して歯牙喪失に甘んじている実態は見るに耐えられま せん。
 保険診療下で歯牙を喪失した場合の対処としては、健全な隣在歯を削ってのブリッジか部分 入れ歯です。特に歯周疾患の進行が顕著となり動揺しかけた歯を支台歯として使う40歳以上 の症例では、支台歯として使った歯が過剰咬合圧と脱離・虫歯などにより連鎖反応のように広 がって、わずか10年〜20年のうちに全てを失うことは統計的にも明らかです。その点、欠 損部分を人工歯根で補強するインプラントは、連鎖反応を食い止めるだけではなく咬合圧を分 散し、残存する歯を守る役目さえ持ち合わせています。その治療結果が明らかに異なる治療方 法を国民皆保険下の日本で保険外扱いにすることは、治療方法選択の自由を国民から奪うに等 しい行政の怠慢だと思います。
 財政支出を抑制したい保険者と、自由診療を確保したい歯科医師会との思惑が合致している ために保険導入が長年見送られているものと思われますが、保険料を強制的に徴収されている 国民の意思を全く無視した悪政ではないでしょうか。本人3割負担の導入という“いたみ”ば かりを押し付けられた上に、健康を獲得するための選択肢まで奪われ、悲痛な訴えを行政に訴 える手段さえ知らない国民の願いをしたためさせて頂きました。

★ 質問:東京都在住 会社員 28歳 男性
 4と5がぬけてしまってない状態です。インプラントをしたいと思っているのですが、保険 はきくのでしょうか?
保険がきくのときかないのとでは、値段はいくらぐらい違うのでしょうか?
よろしくお願いします。
※ 回答:
 インプラントは一般には、保険適応外です。全くの自由診療ですので、費用は医院によって 大きく異なります。1本;20万円程度から最高70万円程度の開きがあるようです。平均的な価 格は30〜35万円程度のようです。高度先端医療の指定のある大学病院では、保険でインプラント ができるところもあるように認識しておりますが、その存在や実態について詳細は分かりません。 4・5番ということですと下顎ならインプラントは可能ですが、上顎は骨の量からしてインプラ ントが不可能な症例が多いようです。

★ 質問:千葉県在住 学生 20歳 男性
 奥歯を3本とも抜かなくてはいけないと言われました。私には今はインプラントにするお金 の余裕がないので、入れ歯ということになってしまいますが、抜かれてしまうことより入れ歯に なることがとても嫌です。他に方法はないのでしょうか?
※ 回答:
 下顎ですと将来インプラントも可能ですが、いずれ骨の回復期間(9ヵ月以上)は部分入れ 歯ということになります。今以上歯を悪くしないように十分な手入れをするとともに、将来イ ンプラントをすべくゆっくりお金を貯めるしか方法はなさそうです。

【歯槽膿漏とインプラント】

 「せめて50歳までは入れ歯にしたくない」という患者さんの要望をよく耳にします。裏返せ ば、50歳にもなれば皆も入れ歯になるから恥ずかしくない、ということを意味しているのかも しれません。そのせいか、30歳代や40歳代で早く歯を失ったひとからインプラントの希望が多 いようです。事故や虫歯で失った歯ならさほど問題はないのですが、歯槽膿漏の進行傾向が著 しく早期に歯牙を喪失したひとの場合はちょっと問題があります。歯石が同じように沈着した 場合、全身の免疫抵抗力の弱いひとほど激しい炎症を起こします。歯槽膿漏は累積した炎症の 量に比例して歯槽骨破壊が進みますので、歯槽膿漏の進行傾向が強いひとほど全身の免疫抵抗 力が弱いといえます。
 インプラントを植えた直後の炎症は、臓器移植のときにお馴染みの拒絶反応と同じく異物に 対する拒絶反応です。今インプラントに使われている素材はほとんど純チタンで、現存する素 材のなかで最も親和性に優れた素材です。最も優れた素材をもってしても起こる拒絶反応です から、現時点では防ぎようのない炎症です。そのとき一番たよりになるのが、全身の免疫抵抗 力です。その抵抗力が弱いひとがインプラントを植えれば成功率が低下することはまぬがれま せん。詳しいデータは分かりませんが、おそらく10%程度低下するものと思われます。元々イ ンプラントの成功率は90%以上ですので、歯槽膿漏の進行傾向が強いひとはインプラントが絶 対ダメということではありません。多少成功率が低くなることを念頭において手術する心構え が必要であると同時に、二度と歯を失わないように一層努力することが望まれます。また、糖 尿病のように極端な抵抗力の低下をもたらす疾患をお持ちの場合には、成功率が大幅に下がる ことが予想されます。手術に際してそれなりの覚悟が必要であり、また術後にもより徹底した メインテナンスが不可欠となります。
 一方、抵抗力の低下は年齢とともに低下していると考えられますので、歳を重ねるごとに条 件が悪化していきます。しかし、実際問題として、高齢者でインプラントを望まれる患者さん は、一般に歯の喪失が遅かったわけですのでそれだけ抵抗力も強く手術にはそれほど支障がな いように感じています。

★ 質問:鳥取県在住 会社員 36歳 女性
 はじめまして。早速ですがインプラントについての質問です。10年前よりインスリン依存型 糖尿病と診断を受け、以来インスリン自己注射をしています。病気の影響も多いと思いますが 、歯が悪くなり右678は部分入れ歯をしています。今更どうしようもないのですが、歯を失 ってみてその大切さを痛感しています。いまは、なるべく残った歯を1本でも無くさないよう にとケアにつとめています。そこで質問です。私のような糖尿病の人はインプラントができな いと聞くのですが、血糖のコントロールが良くてもダメなのでしょうか。
※ 回答:
  糖尿病の特徴として、抵抗力が弱く、とにかく炎症を起こし易いことが挙げられます。一般 と同じケアだと歯槽膿漏の進行が著しく、毎月歯石除去を行っていてもいつも歯肉が腫れぼった いという印象があります。インプラントに限らず、根管治療にしても必ず一般の方との有意差を 感じます。その条件下でインプラントをするとなると、かなりの確率で失敗することを覚悟しな くてはなりません。普通で成功率95%?程度ですが、血糖のコントロールができていたとしても おそらく成功率は 50%以下だと思います。といって可能性がゼロではありませんので、そのこと を双方が納得した上でインプラントを試みることは可能だと思います。

【メインテナンスの前に虫歯治療】

 過去の過ちを教訓に、二度と同じ過ちを繰り返さないためには、一度過去を清算する必要があ ります。進行した虫歯があれば、抜髄しなくてはなりません。その抜髄を恐れ治療を拒みつづけ て、追随する虫歯治療の機会を放棄すれば数年後に同じ過ちを繰り返すことになります。痛いと ころ・気になるところだけを治療してメインテナンスに移行することはできません。少なくとも、 歯槽膿漏の初期治療と今存在する虫歯治療を完了させたうえで、その状態を生涯保つ必要があり ます。ところが現実は、歯科医の力量不足と患者さんの誤った認識によって、歯科治療そのもの に対する不信感が生じてメインテナンスどころではありません。
「早めの治療がいいことはわかっているんですが…」
早めの治療であれば痛みを伴わず、安くて確かな効果が得られる。このことは十分認識されてい ることと思います。しかし、治療が著しく遅れてしまった場合、歯医者の手におえなくなってし まうことをご存知ないのではないでしょうか。
 歯槽膿漏の末期治療が手におえないことは、すでにお分かりいただけたと思います。虫歯の末 期治療、即ち、歯の神経を取るとか、取ったあとの治療が多くの場合歯医者の手におえないもの であることも認識していただく必要があります。
「エー? 神経とったけど使ってるよ」
と、思われる方もたくさんいらっしゃるかと思います。さすがに神経をとった直後に抜歯という ケースはそれほど多くないようですが、神経をとったあとが痛むとか、何となく違和感があると いう経験はあるはずです。数年後に歯が割れたとか、歯肉が腫れて抜歯したという経験もあるか と思います。神経をとった歯の10年後の生存率が60%程度というデータもあります。もっと確率 の高い治療方法を望まれる気持ちはわかりますが、全国レベルでこの程度の数字ということは、 これが平均的な歯科治療水準であることを認識する必要があります。
 この件についてはあとで詳しく説明しますが、歯医者はさかんに「早めの治療がいいよ」と訴 えつづけています。裏を返せば「遅めの治療はダメ」とさかんに訴えているのです。ダメといわ れている治療を受けるわけですから結果は明らかでしょう。そして期待に沿えない治療に失望し て、不信感へとつながります。
 もう一つは治療によって生じる、避けることのできない問題が治療ミスによるものだと勘違い することで、不信感が生まれるケースです。事前の知識があれば十分防ぐことができるはずなの で、医師側の説明不足が原因ともいえるでしょう。いずれにしても、歯科医に対する余計な不信 感が芽生えて初期治療やメインテナンスが敬遠されることは、双方にとって大きな損失です。虫 歯や歯槽膿漏は誰にでも起こり得る身近な疾患ですので、治療方法に対する最低限の基礎知識を 習得してください。そして、現実の歯科医療レベルを正しく把握して、自らの歯を生涯保つため に最善の方法を選択していただきたいと思います。

【歯科治療に対する認識】

 歯槽膿漏とならんで、もっとも一般的な歯の疾患は、改めていうまでもなく虫歯です。崩壊 方程式のなかでも、50歳までの主役であり、50歳をすぎてからも重要な鍵を握っています。こ の虫歯に対する認識の間違いと対処の仕方が、口腔内環境保全を生涯苦しめつづけています。 早期治療が良いことは十分認識されているはずですが、早期の意味と対応に大きな誤解がある ことに問題があります。
 歯槽膿漏で腫れた歯茎は、歯石除去と排膿により炎症が消え痛みはなくなります。しかしそ の間に失われた歯槽骨は回復しません。虫歯も目に見えない程度の初期には再石灰化が起こっ て回復するという報告もありますが、通常虫歯と呼ばれる段階となると二度と元の状態に回復 することはありません。根っこの先に炎症が起こって生じる根尖病巣のような、生体の自然治 癒能力の及ぶ範囲では、的確な根管治療を行うことにより回復する見込みがあります。しかし、 技術的な問題から多くの場合治癒を期待することが難しいのが現状です。
 風邪や結核の様な疾患であれば、治療を受けて“治った”となれば元の体、もしくは元の体 に近い状態に回復したことを意味します。従って、将来同じ疾患に罹患したとしても、健康体 からの新たな発病であり、何度でも治る可能性があります。ところが歯の疾患、とりわけ虫歯 の場合、罹患部分を削り取っても決して元の状態に回復するわけではありません。金属・その 他の代用品で補修しているだけです。再び虫歯が発生した場合、過去の破壊にプラスして歯の 破壊が進みます。歯科治療を行って“治った”のではなく「修理が終わった」と表現する方が ふさわしいと思います。歯科治療を歯の修理と位置付けすれば、おのずと正しい扱い方と認識 が導きだされてくるのではないでしょうか。
歯科治療
 車の全損事故にも匹敵する抜髄処置(神経を取る)ような事態になった時、多額の金額と労 力を費やして修理しても決して新車の様なわけにはいきません。どこかに歪みが残っているの で、近い将来必ず故障するであろうことは誰にでも想像できると思います。70〜80年も使わな くてはならない大切な歯に、わずか10年や20年で抜髄という大修理が必要になる…こんな状況 ではほとんど先がないと覚悟しなくてはなりません。初期段階の小さな虫歯や一度修理したと ころから発生する虫歯(二次カリエス)をこまめに見つけ出し、細かい修理を積み重ねてこそ 生涯使用することが可能になります。極論をいうと「歯医者は歯を治さない」と思った方が正 しい認識です。誤解を招く発言ですので、付け加えていいますと「患者さんが望むような治療 は、この世の中に存在しないことが多い」というべきなのかもしれません。歯の神経をとって 、金属で被せてしまえば、痛みもなく虫歯もなく、鋼鉄のアイテムを得たがごとく勘違いされ ている患者さんが多いことに危機感を感じます。

「被せても虫歯になるんですか?」などは代表的な例です。
たしかに被せた金属のうえからは虫歯になりませんが、歯とのつなぎ目からは虫歯になります し、セメントや歯の一部が破折してできた隙間からは必ず虫歯になります。その他脱離による 虫歯などを考えると、長い目でみると必ず虫歯になるものと考えるべきでしょう。一度治療 (修理)したものが、永遠に保つと考える方がおかしいと思いませんか。
 「歯の神経をとっても痛みますか?」も双璧というべき誤解です。
抜髄後の痛みについては、その性質から幾つかに分類できます。抜髄した直後の痛み、抜髄か ら数週間にわたり持続する痛み、さらに抜髄してから数年後に起こる痛みなど、それぞれ発生 のメカニズムが異なっています。
 抜髄直後の痛みは単純です。抜髄とは、歯の神経を根尖部で切断して除去する医療行為です。 神経を切断したのですから、切断面に外傷性の炎症が起こります。歯の神経をとっても、周囲の 骨には神経が通っていますので痛みを感じるのはあたりまえです(歯を抜いた場合、歯の神経 も当然のごとく無くなっているのに痛みを感じることに疑問を感じるひとはまずいないでしょ う)。しかし、この種の傷みは、たいてい二、三日もすれば治まります。
 抜髄から数週間にわたって持続する痛みの場合、原因として一番考えられるのは、神経が完 全に除去されていないために、残った神経が腐敗して炎症を起こしている可能性です。根尖部 の神経が取れていなかったり、通常より1本余分な神経があって、それが除去されていないケ ースをよくみかけます。薬剤やレーザーを使う対症療法では意味がありません。原因を完全に 絶つ、つまり残った神経を完全に除去しない限り完璧な解決はありません。
 抜髄してから数年後に起こる痛みについては、抜髄時の神経が残っていたか、抜髄後の根管 充填といわれる空洞の閉鎖処置に何らかの不備があった可能性を疑います。たとえば神経を取 ったあとの空洞、つまり歯髄腔(しずいくう)の閉鎖が完全に行われていなければ、血液や体 液が混入して腐敗と炎症を引き起こします。重症になると、根尖部の歯槽骨が破壊されて、膿 をだすようになります。根尖病巣は、こうしてできるのです。対策としては、再び歯髄腔に残 存する汚物を完全に除去して、再び根管充填を行います。この処置を特に感染根管治療といい ますが、抜髄時の処置と基本的な操作が全く同じであることから総称して根管治療といいます。
 この根管治療にまつわるトラブルは実に多く、何軒もの歯医者をはしごしたあげくついにあ きらめて抜歯にいたるケースをよく耳にします。ことばで表現すれば、歯髄腔(しずいくう) を完璧に清掃して、完全に閉鎖してしまえば簡単に治るはずですが、“何軒もの歯医者をはし ごしたあげく”ということは、完全な処置自体が実際にはほとんど存在しないと考えるべきで はないでしょうか。
 それ以外にも神経を取った歯は、もろくなって破折しやすくなりますので、長い目でみれば 必ずだめになることを十分認識しておく必要があります。考えてみて下さい。歯が生えてわず か10年やそこらで、抜髄して金属の代用品で大修理した歯が、その後何十年も正常に機能する はずがありません。生体の自然治癒能力によって、元の状態に治癒する可能性があるお医者さ んの治療と違って、自然治癒能力がおよびにくい歯科領域は治療ではなく修理という側面が強 いのです。このことを肝に銘じておいて下さい。
 発展途上国では今でも、神経をとるような歯は抜歯されています。それに比べて「抜髄すれ ば数年間、稀には20年。運が良くなければ一生なんて使えない。」くらいの認識が必要です。 多くの場合、患者さんが重い腰をあげてやっと歯医者に行くころには、こんな怪しげな治療し か選択の余地がないことをもっと深刻に考えるべきです。
「早めの治療がいいことはわかっているんですが…」と、笑い事では済まされない事態なのです。

★ 質問:石川県在住 主婦 35歳 女性
 ここ、半年ほど前から、治療中です。虫歯が、たくさんあるとのことで、以前に詰めた歯を 直している最中です。今2本目ですが、なかなか痛みがとれません。根の治療をして、神経を とっているのですが、取ったあとが、必ず痛くなって、噛むこともままならないのです。一本 一本同じ症状で、いつもすぐには被せてもらえません。そうこうしているまに、神経のない治 療中の歯が、またズキズキいたんでしまい、いつも言われるのは、歯根膜炎だとのこと。そん なに毎回、歯根膜炎になるものでしょうか?
※ 回答:
 全て根管治療の不備ではないでしょうか。転院をお勧めいたします。確かに病名としては歯 根膜炎ですが、原因は根管治療の不備だと思います。

【初期治療に対する理解を】

 神経をとったあとの歯がいかに期待を裏切る結果をもたらすかが、少しは分かっていただけ たと思います。実は、その結果を一番知っているのは歯医者自身です。そのため、歯科医は最 大限抜髄を回避する治療に情熱を注いでいます。抜髄によって患者さんの期待を裏切ることが 予想されるからです。
 その情熱を踏みにじっているのが、歯科治療に対する誤解です。患者さんが「痛くもない歯 を削られて痛くなった」という感想を抱いてしまうことも無くはないようです。実際、神経に 接する様なムシ歯があっても痛みを感じることはありません。歯髄はけなげに何年もジーッと 耐えているのです。「ちょっとしみます」というような痛みを感じた時点では、もう抜髄が免 れない処置であることを知っている歯科医は、痛みがでる前の虫歯に注目します。
「ついでに、他の悪いところも治してください」
というようなケースがこれに該当します。例えば、患者さんの気付かないような虫歯が10本 あったとして治療します。その内8〜9本は見事な治療効果が期待できます。10年以上神経を とる時期を先延ばしすることができるのです。治療後痛みのでた1〜2本は、最後のトドメを 刺すかたちで痛みを誘発したと考えられます。それらは経過をみて抜髄になってしまうことも あります。こういった歯は、結果としてすでに治療限界を超えていたことになります。治療限 界を的確に事前把握することは不可能ですし、安全圏を設定したのでは救える歯も救えません。 しかも結果として治療限界を超えていたような歯は、そのまま放置しておいても遠からず同じ 運命をたどることになります。
「ついでに隣の歯も治療しておきました」という説明は、最も誤解を受けやすい表現です。
まるで治療する必要のない歯を削られたという印象を受けます。歯科医の説明不足は否定でき ませんが、歯科医が全く治療する必要のない歯を削ることはありえません。虫歯は、歯が錆び るようなものですから、一方が錆びていれば、そこに接している歯は必ず錆びています。治療 のために一点を集中してみてみると、近くにある虫歯も発見することになります。期待を裏切 ることの多い手遅れな治療に失望し、予想以上の効果をあげている初期治療を疑いの眼でみる ことは、最終的に患者さんの口腔内環境を破壊していきます。初期治療を寛容な眼差しでみつ めて、手遅れな治療を極力回避する姿勢がのぞまれます。

【歯科衛生士という仕事】

 歯科医院にいくと衛生士とよばれるひとがいます。治療の時にバキュームを操作するなど、 歯科医師の助手のような仕事をしているひとのことです。国民病ともいえる歯槽膿漏で悩む人 々が増えるなかで、衛生士の仕事はとても大切になっています。確かに、手術をはじめとした 治療を行うのはドクターですが、その後のメインテナンスは衛生士の仕事です。
 私の医院で行っているプロフェッショナル・トゥースクリーニングの主役は衛生士です。彼 女たちの働きによって多くの患者さんが、歯槽膿漏の恐怖から救われています。しかし、この 事実が世間ではあまり認識されていないように感じます。「衛生士といってもスケーリングが 出来るだけで、給料は高いし?高卒の女の子の方が、余程気が利いてエエわ」というような声 を歯科医仲間から聞くこともあります。私の認識では、「スケーリングはしてくれるし、口腔 内のチェックや指導、おまけに治療内容の説明や相談相手もしてくれる。こんな重宝な存在は 他にない。」私の医院では「世間話でも何でもいいから、患者さんと話をしなさい」と指示し ています。無論彼女たちは歯科知識と経験を備えたプロですから、ブラッシングをはじめとし た疑問に答えるだけではなく、ドクターには聞けない治療の見込みや病状の推移などの相談に のることもできます。
 20数年前の開業当初から、スタッフが全員衛生士であることを目指して医院経営にあたって きました。現在のスタッフ6名は全員衛生士で、時間の不足しがちな私に代わって可能な限りイ ンフォームド・コンセントの充実にも貢献してくれています。

【ブラッシング指導】

歯科治療
 歯科医院に行って、ブラッシング指導を受けた経験のあるひとも多いと思います。ブラッシ ング指導は従来から保険でも認められてきました。大学の講義や衛生士学校の講義も、歯槽膿 漏の治療といえばブラッシング指導が主流です。私もブラッシングの効果を否定するわけでは ありませんが、たいていのひとは三日坊主で終わってしまい実際の効果をあげるのは限られた ひとだけというのが現実でしょう。
 世の中にはいわゆる達人と呼ばれるひとがいます。歯磨き、あるいはブラッシングの達人は 果たして存在するでしょうか。巷には歯磨きの達人になることを奨励する家庭医療の手引きが あふれる一方で、いっこうにその成果があがらず、依然として歯の痛みを訴えたり、歯茎から 血や膿がでて、歯科医に駆け込んでくるひとがあとを絶ちません。
 正しいブラッシングができれば、それにこしたことはありませんが、ブラッシングの技術は “一朝一夕”で身に付くというものでもありません。はたして日本人のうち何パーセントのひ とがブラッシングの達人になれるのか、改めて考えてみましょう。これは国民全体の歯の健康 を守るために何が必要かを提唱するうえで、避けて通れない問題だと思います。結論からいえ ば、ブラッシングの達人はほとんど存在ません。それは野球の愛好者は多くても、的確にボー ルを捉える技術を身につけて、プロ野球のドラフトにかかる選手が、ほんの一握りに過ぎない のと同じことです。たとえば野球選手を目指して、自宅でバットの素振りをするだけで、イチ ロー選手のようになれますか。おそらく無理でしょう。一流のコーチの指導を受けて、初めて バッティングの達人になれるわけですが、これとてやはり並はずれた才能とセンスがなければ 、むつかしいでしょう。ブラッシングもこれと同じだと思うのです。
 以上が三〇年近くものあいだ、歯科医として患者さんの歯を見てきた私の率直な感想です。 正しい方法を身につけたほんの一握りの人々、つまり歯磨きの達人にとって、ブラッシングは 歯を守るための有効な手段であっても、国民全体にそれを奨励するのは少々乱暴ではないかと、 私は思います。もし、この問題をあいまいに放置してしまうならば、従来から日本人が繰り返 してきた忌まわしい経路、すなわち「年齢を重ねるにつれて、歯の数が少なくなり、70歳に もなれば、ほとんどの歯がなくなり、しまいには総入れ歯の世話になる…人生の終焉が迫って いることを実感せずにいられない」ここから脱却することはできないでしょう。