さらば歯周病
新潮新書「さらば歯周病」を読んで
水口 慎也* 松浦 哲郎**
近代口腔科学研究会雑誌 第31巻第1号(2005年4月)

近代口腔科学研究会の例会で,新潮新書「さらば歯周病」(河田克之著)を 抄読し,その内容を検討した。
 河田氏は,歯周病は深刻な国民病となりつつあるが,未だ原因は不明で治療 法も確立していないと述べ,歯周病の元凶は歯石であり,歯磨きだけでは不十 分という独自の見解を発表している。
 例会では,世界的に認められている常識的な歯周療法を否定する河田氏の主 張には科学的な根拠が乏しく,独善的な内容であること,さらに氏の考える歯 科衛生士の業務は,違法の疑いがあることも指摘された。またこのような浅薄 な出版物を出す大手出版社の責任を問う意見も出た。

KeyWords:歯周病,歯周病治療,歯石,Plaque control, 歯科衛生士, 新潮社,日本歯周病学会


は じ め に
 マスメディアの影響からか,国民の健康志向は確実に高まっているようです。大型書 店には一般向けの医学書コーナーが設けられており,歯科関連の単行本も少なからず陳 列されています。
 昨秋,新潮社から刊行された「さらば歯周病」1)(河田克之著) では,帯に書かれた「歯磨き信仰を,まず捨てなさい。」という挑発的な言葉が読者の目 を引きます。歯周病に悩む患者が飛びつきそうな本であり,その影響を考えると看過でき ないものと思われます。
 今回, 近代口腔科学研究会の例会で河田氏のこの著書を取り上げ,その内容を検討しま した。大手出版社から上梓された刊行物は,国民に正しい情報を提供する責務があると思 いますが,この本は,その責務を果たすことができているのでしょうか。

河田氏の主張
  河田氏は「まえがき」で,歯周痛が「国民病」とまで呼ばれて,その対策が急がれて いるにもか かわらず,「未だ決定的な原因が特定されておらず,また,その有効な治療 法がみつかっていない事実について,なぜそうなのか,なぜ結論を出せないでいるのか, そして保険制度や歯科医療そのものの問題を,とくと説明することも本書の目的の一つで す。」(5頁)と述べています。
 そして河田氏の臨床経験から「歯槽膿漏の元凶は歯石である。歯磨きだけでは守れない」 (6頁)という結論を導き出したというのが本書の骨子のようです。
 河田氏の主張は,歯周病治療の能力のある歯科医にとっては,常軌を逸しているとしか 思えない見解ですが,以下にそれを検証してみましょう。

歯周病と歯槽膿漏
 河田氏によると,「歯槽膿漏」という病名は歯が抜け落ちるという「恐ろしい歯の病気」 という負のイメージが世間一般にあると述べ,「そこで歯学界は,歯槽膿漏という言葉を 避けて,『歯周病』(もしくは『歯周疾患』)と呼ぶことによってイメージチェンジを図っ たわけです。」(36頁)と書いています。さらに「疾患としてはまったく同じものですか ら,(中略)歯周病は歯槽膿漏の前段階であると誤解している人が多いのは困ったもので, ソフトイメージ化を図ったこと自体,逆効果だったかもしれません。」(37頁)と続けて います。しかしこれらは明らかに河田氏の誤謬です。
 「歯槽膿漏」とはpyorrhea alveolarisを訳したもので,これはまだこの疾患の病態や 原因が明確になっていなかった頃の病名です2)。その後この疾患に ついて研究が進み,辺縁性歯周組織の炎症性疾患であることが解明されてからは,歯槽か らの排膿という病態を意味する言葉をその病名にすることは不適切であることから,世界 的にPeriodontaldisease,すなわち歯周病と呼ぶようになりました。河田氏が述べている ような,患者向けのイメージ戦略といった浅薄な理由からではないのです。

歯周病の原因
 河田氏は,「歯槽膿漏の原因というのは定かでなく,いまも意見が分かれています。」 (42責)と述べ,氏の臨床経験から「歯石」が歯周病の元凶であると結論づけています。 しかしながら,歯周病の原因は,特殊な歯周病は別にして,通常の歯周炎ではdentalplaque であることは,現在では定説になっています2,3,4)
1960年代の終り頃までの研究者や臨床家は,河田氏が主張するように「歯石」に注目してい ました3)。その後歯周病の病因論が進歩するにつれ,唾液中のミネ ラルがプラックに沈殿したものが「歯石」であり,プラックの保持組子としては除去する必 要があるものの,「歯石」そのものが歯周病の重要な原因因子ではないこと4) も,これまでの研究結果から明らかにされています。
 つまり河田氏の主張は,決して独創的なものではなく,時代錯誤と言うべきものなのです。 しかし,河田氏がそれを承知であえてそのような説を世に問い直すの であれば,誰もが納得する科学的根拠を提示しなければなりません。残念ながら本書 のどこを探しても,それを立証するような記載は見当りません。それどころか前言を翻し, 「ここで注釈しておきますが,私は,歯石そのものが歯槽膿漏の原因だと言うつもりはない のです。」(124頁)という釈明が書かれています。これは,どういうことなのでしょうか。

歯磨きだけでは守れない
 河田氏は患者に「歯磨き信仰を,まず捨てなさい。」と啓蒙しています。河田氏がそのよ うな結論に至った理由については,以下のように述べています。「ブラッシングでもってプ ラークスコアを20%以下にできるなら,人は誰も歯槽膿漏で苦しんだりしない(中略)。ま さに血がにじむような努力をしないと,この数字は達成できないのです。」(136頁)
 つまり,ブラッシングの効果は認めてはいるものの,それを遂行するのが困難だからとい うことのようです。この20%以下という数値にどのような意味があるのか5) はさておき,河田氏にはブラッシングによるplaque controlができないようです。 そのため,毎月の「歯石取り」を目的に患者を通院させています。
 しかしながら臨床家ならご存知のように,下顎前歯舌側にわずかに付着する程度であれば 理解できなくもありませんが,毎月除去しなければならないほど全顎的に歯石が沈着する患 者など存在するものではありません。いずれにせよ歯周病治療の根幹はplaque controlです。 それも患者自身による歯口清掃が効果的に行われないかぎり,歯周病治療の効果は上がりま せん3)。  河田氏のように,患者に効果的な歯口清掃を指導できないために定期的に患者を通院させ, 歯石除去を含む専門的な清掃(professional mechanicaltooth cleaning:PMTC)を行う歯科 医は最近増えてきているようです。しかしながらそのような処置に医療的効果は望めません 6)。患者を瞞着する行為でしかないのです。

歯科衛生士の業務
 河田氏は,歯石除去の作業をするのは歯科衛生士だとし,「彼女たちこそが歯科医療の主 役」(61頁)「歯を修理するのは歯医者の仕事,その歯をケア,維持するのが衛生士の仕事」 (61頁)と述べています。さらに「私のところでは,私よりも彼女たちの方がよく働きます。 院長は仕事をしているようにみえない」(62頁)とも書いています。このように,補綴など 修復処置は歯科医の仕事,歯周治療やメンテナンスは歯科衛生士の仕事と分業のように考え ている歯科医は河田氏だけではないようです7)。しかしこのような考 えは,歯科医師法,歯科衛生士法に抵触するおそれがあります。
 歯科衛生士の行う診療補助行為は,主治の歯科医師の直接指導の下でなければおこなうこ とができません。すなわち分業という考えで患者に臨むべきものではないのです 8)。なによりも歯周治療やメンテナンスを任せられるだけの専門的知識や能力を,教 育年限やその内容からみても歯科衛生士が有しているとは,到底考えられません。河田氏のよ うなplaque controlの能力を持たない歯科医ではなく,能力を有する歯科医師と共同で治療 にあたってこそ,初めて歯科衛生士の能力が発揮できるものなのです。

河田氏の記述から
 以下,問題と思われる記載のいくつかを列挙してみましょう。
「私は,この保険がきかないという事実について,日本国首相宛に抗議のメールを送るなどして 改善を要求してきました。その甲斐あってか, 2002年4月から保険法が改正され,月に一度の 歯石除去すなわち『メンテナンス』についても保険適用となっています。」(59頁)
 「フッ化ジアミン銀(商品名・サフオライド)の塗布は乳歯独特の治療法といえます(中略)。 乳歯の場合,神経を取るような重症の虫歯にも使います。」(75頁)
 「矯正をはじめる時期については,若干の個人差があります。小学校の低学年では,そろそ ろ歯並びが気になりだすころですが,矯正をはじめるには少し早すぎるでしょう。というのは, まだ本人の自覚が望めないので,矯正具の装着等のケアが無理かもしれないからです。しっか りと矯正するには本人の努力が必要ですから,その意味が理解できる中・高学年が適当とされ ています。」(78頁)
「自画自賛になりそうですが,世界中を探しても,20年間の臨床カルテをもっている所はない と思います。」(97頁)
 「例えばインプラントの場合,一度,歯に植えっければ,あとはメンテナンスだけでほば永 久的にもつわけです。」(98頁)
 「歯石というのは,歯肉縁上にあるのと歯肉縁下にあるのがあって,ブラッシング(歯磨き) では前者のものしかとれない」(132頁)
 「例えば,奥歯の1本を失った人(40〜50歳代)がブリッジを選択されたとします。その場合, まだ健全な隣りの歯を削って,それを支台として新しい歯をつなぎとめるわけです。ところが, 支える台にされた隣の歯は,年齢的にもそれほど強いものではないため,吹合圧が過剰にかかる ことにって,まず10年はもちません。いわば連鎖反応のように次々と歯を失って,おそらく20年 のうちにすべてを失ってしまうことになるでしょう。」(156頁)
 これ以上引用するのは誌面の無駄というものでしょう。これらをいちいち批判するまでもなく, 河田氏の歯科医としての臨床能力を窺い知るには十分なのではないでしょうか。

お わ り に
 最近は患者の獲得を目的にしたとしか考えられない,いわゆる「とんでも本」の類が百鬼夜行 しています。この本の編者である笹倉氏は,河田氏と高校の同窓であることからこの本が企画さ れたと単行本の「あとがき」で述べていますが,いくら笹倉氏が歯科医学の素人であるとはいえ, このような愚書が出版されたことは,新潮社の看板を汚したといわれても仕方がないでしょう。
 新潮社を信用し,歯周病に悩む患者が実際にこの本を手にするのは少数とはいえ,真面目に歯 周病に取り組んでいる歯科医師にとっては迷惑千万なことです。また,このような人物に認定医 の称号を付与している日本歯周病学会は,河田氏の主張をこのまま不問に付すつもりでしょうか。 学術団体であれば,国民に正しい情報を提供する責任があるはずです。


     引 用 文 献
1) 河田 克之:さらば歯周病,新潮札 東京,2004
2) M.C.Newmanetal.:Clinicalperiodontology.W.B.Saunders Co.,Philadelphia.2002
3) 飯塚 哲夫:増補改訂歯周療法の基礎第2版,ヒョーロン・パブリッシャーズ,東京,2004
4) J.Lindhe et al.:Clinicalperiodontology and 1mplant Dentistry4th ed.,Munksgaard,  Copenhagen.2003
5)松浦 哲郎:シンポジウム:ブラッシング指導,ブラック・コントロールは今のままでいいのか,  近代口腔科学研究会雑誌,28(3):316,2002
6)飯塚 哲夫:「新しい歯科医療」なるものを斬る,平成17年度近代口腔科学研究会新年講演会,  東京,2005年1月23日
7)黒田 昌彦他:かかりつけ歯科医制度とメンテナンス,デンクルハイジーン,Vol.23No.10: 910,2003
8)飯塚 哲夫:歯科衛生士とは何か,近代口腔科学研究会雑誌,29(1):5,2003


*Shinya MINAKUTI
 徳島県徳島市大道4−18−1
**Tetsuo MATSUURA
 山口県山口市中央3丁目6−26